2009年1月8日付けの日本繊維新聞 nissenのコラム(ファッショントーク)を前回に続いてアップします。今回は今年2009年がダーウィン生誕200周年ということで、ダーウィンのミミズ研究からエドワード・リードのマイクロスリップへと話がスリップwします。本紙では「である」調で統一することになったため直されていますが、こちらでは元の「ですます」調のままでのアップとなります。
「世界と出会うーダーウィン生誕200周年から」
今年2009年は、チャールズ・ダーウィン(Charles R. Darwin)の生誕200周年にあたると同時に、もっともよく知られた著書『種の起原』の出版150周年にもあたります。メモリアルイヤーということで世界各国で様々な催しが予定されているようです。日本でも一足早く2008年には国立科学博物館他でダーウィン展が催され、雑誌『科学2008年12月号』では特集〈ダーウィンは「人間」をどう考えたかー生誕200年、『種の起原』150年〉が組まれたりしており、これからますます盛り上がると思われます。
ダーウィンの進化論は生物学だけでなく、それ以外の世界にも計り知れないほど大きな影響をあたえてきました。同時代を生きたマルクスやフロイトがダーウィンの進化論から影響を受けたことはよく知られています。そしてダーウィンが『種の起原』を記して150年、生物学や他領域の最先端で新たな知見が発見されていくことによってその面白さや価値がより増していくと同時に新たな問題点を提示し続けている、といえるのではないでしょうか。ダーウィンの進化論は現代のわたしたちの生命観そのものに深い影響をあたえています。
ダーウィンには『種の起原』や『人間の進化と性淘汰』などのよく知られた著作以外に『ミミズと土』という非常にユニークな著作があります。『ミミズと土』はミミズの土壌形成における働き・生態を客観的に、量的に実証しようと40年(!)かかって観察・研究されまとめられたダーウィンの最後の著作です。ダーウィンは、ミミズが穴の入口をふさぐ際に周囲の状況のちょっとした変化にも柔軟に適応して穴ふさぎに使われる葉の識別と選択を行なうーたんなる本能的衝動ではなくーということを精細な実験と観察によって示しました。
ミミズは自身で掘ったトンネルにたくさんの枯葉や植物の他の部分(小枝など)を引き込みます。その一部はトンネルの入口をふさぐために使われ、一部は食べものとされます。そしてミミズの穴ふさぎに関して、さまざまな種類の葉をつかって実験した結果、ダーウィンは確信しました。「ミミズがトンネルの入口をふさぐとき、ただの盲目的、本能的な行動でなく、ある程度の知能を示すように思われるのには、さらに驚かされる。いろいろな葉、葉柄、三角形の紙などで円筒のチューブをふさがなければならないときに、人がするのとほとんど同じやり方で行動する。つまり、ミミズは普通、そのような物体のとがった先の方をつかむのである」
『ミミズと土』におけるこのようなミミズの行動適応に関する考察に注目して、ダーウィンの考えが心理学の生態学的アプローチへ大きく寄与したこと(そしてそれを花ひらかせたのがアフォーダンスの概念を提唱した知覚心理学者ジェームズ・ギブソンとエレノア・ギブソンです)を示したのが生態心理学者エドワード・リードです。リードは「これまでのどんな心理学とも異なる前提から出発し、これまでのどんな心理学とも異なる概念をつかう新しい心理学」として、ダーウィンの進化生態学的な動物観に沿って心理学をはじめることを提唱しました。
リードがショーエンヘルと観察して名付けた現象にマイクロスリップという行為のスリップ現象があります。例えば材料の缶やカップなどの置かれたテーブルの上でコーヒーをつくるとき、コーヒー豆の缶を取ろうとした手が躊躇したり、スプーンを取ろうとした手が軌道を変化させてコーヒー豆の缶に向かったり、手前のシュガーポットにちょっと触れただけでその横のミルクポットをつかんだり、カップをわしづかみするような形状から把手をつかむ形状に手の形を変化させる。このような微小な環境と行為のズレをマイクロスリップといいます。リードらはこのようにコーヒーをつくるところを観察して、マイクロスリップが一分間におよそ一回はあらわれていることを、そしてコーヒーをつくっているテーブルの上によけいな物をいろいろと置いておくとマイクロスリップがより多くあらわれるということを発見したのです。
この結果からリードは、どのような行為もそれがあることさえ気づかれないような微小なスリップとともに行なわれているという事実に確証を得ます。そして、行為のプランとその実行とを区別して考える「プランが実行を監視する」という考え方を否定します。プランというのは行為するときに立ち上がっている「意志群」間に生ずる選択のことであると。従来の科学的心理学では、行動と意識をある特定の原因によって引き起こされた結果として扱ってきましたが、リードが提唱する生態心理学ではそれを拒否しますー行為と意識は動物が環境のなかで達成することで原因が引き起こした結果ではないのです。「〈行動〉は引き起こされない。アフォーダンスは行為の機会であって、原因や刺激ではない」。
マイクロスリップの問題を力学系のモデルとして考察した池上高志と大海悠太(2008)は、新しい認知を考える上でのコンセプトを力学系の研究から生み出そうと試みています。池上らはこの力学系のモデルからマイクロスリップを次の二つに分類します。A)一つの行為の中での逡巡:一つの行為モジュール内で大きな揺らぎがある。B)行為の切り替えの迷い:二つの行為モジュール間の揺らぎ。そしてこれをもとに行為のモジュールは階層構造ではなく、単純な上下関係には分類できないネットワーク構造をなすということを提示しました。このこととマイクロスリップがオブジェクトのレイアウトに敏感であることなど、池上らのメッセージはリードらの考察とも重なって僕たちに大きな示唆を与えてくれます。
多くの建築や空間も池上が言う「プラン/アクション型の問題」として捉えられてきました(機能主義であれ抽象主義であれ)。「プランニングが実際の行為に先行してつくられているわけではない」ことを前提とした場合、当然空間をつくることも変わっていきます。今、池上と筆者らは実験と考察と創造が同時に進む環境をつくるプロジェクトを動かしはじめたところです。乞うご期待ください。
李明喜(mattキャプテン、空間デザイナー)
URL : http://www.mattoct.jp/
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