アーキテクチャと思考の場所
東工大で行なわれた公開シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」に行ってきました。
司会が東浩紀、登壇者が浅田彰、磯崎新、宇野常寛、濱野智史、宮台真司という濃い顔ぶれのためか会場は超満員。混むことが予想されたので早めに行ったつもりでしたが、30分前でかろうじて座れました。別会場で映像中継されたようですがそちらも座りきれないほどだったようです。
それぞれの話も後半は特に面白かったし、このシンポジウムのライブで進んでいる状況から「ジェネレーション」や「アーキテクチャ」の問題が立ち現れているという様は大変興味深く、もっと続けてほしいと思っちゃいました。あまりにも考えることがたくさん出てきたのですぐに全体を振り返ることはできませんが、断片的な感想を少しだけ。
磯崎氏が言う建築における切断について、元々建築には「解釈的切断」と「物理的切断」の二つの切断がありその差異は設計を考える上で大きな意味を持つと思うのですが、それはこのシンポでも意識されていなかったように思います。(その差異を意識的に重ねようというのが藤村龍至氏らなのでは?)それから、名前の出たグレッグ・リン以降進化や生成をテーマにアルゴリズム的思考やシミュレーションといった手法が様々な形で行なわれてきましたが、その多くがドローイング(モデルなどを含む)までしか、つまり物理的切断の前までしか作用していないという事実はしっかり認識した方がいいでしょう。濱野氏の言う「人工的自然」や鈴木健氏の言う「複数の現実」化といった状況が生まれつつある今(ユビキタスなどの技術的な話だけではなく)、ようやくそれが体験されうる「いままさに発展し続ける時間構造としての空間・環境」として創ることができると思います。それはやはり建築という枠の中からは生まれてこないのではないでしょうか。
と、まだ全然整理できていませんね。もっとじっくり考えてから何か機会があれば書いてみたいと思います。とにもかくにも、東さんの言う通りこのシンポジウムは大成功だったと思いますよ。
(NHKブックス別巻)
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